「こうあるべき」が元凶かもしれない
SUCSUC Creativeの小池です。
スマホの電源が入らなくなりました。
もうビックリですよね。
WEBとかLINEとか、スマホを使わなくて済むあらゆる手段で契約しているキャリアに連絡を試みても、すべて「スマートホンで二段階認証してください」と言われて詰んでしまうので、
仕方なくキャリアの実店舗に駆け込んだんです。
でも私、WEB限定のお得なプランを使っているもので、
実店舗でのサービスは対象外ですと言われて、思わず店員さんに強く当たってしまいました。
「できる範囲で調べたら公式サイトで店舗に行くようにと言われたから来たんですけど!?」
みたいな。
結局、店員さんのご尽力で一瞬だけ電源が入ったので
即座にスマホのアプリから修理サービスの申込をすることができました。
だって、スマホは電源が入るべきだし、
電源が入るようにキャリアは対応するべきでしょう!?
そう思っているから店員さんに強く当たってしまったのだと思います。
まぁ、スマホの電源は入るべきだと思いますが
さて、この出来事で気付いたのですが、
私たちが他人に強く当たってしまうときって、
自分の中の「こうあるべき」に反するから、という理由が多いと思いませんか?
というか、私はほぼそうです。
「○○するって言ったのに、約束は守るべきなのに、どうしてできてないの?」
みたいな態度をとって、それが原因で人間関係がギクシャクしてしまうことが
思い返してみるととても多いです。
でも、別に悪気なくても、言った通りにできないことなんて
普通に生きてていくらでもありますよね?
単純にうっかりしてしまう場合もあれば、
事情や状況が変わって保留になる場合も、
そのこと自体の優先順位が低くなる場合もあります。
言ってる私にも山のようにあります。
分かっているのにどうして強く当たってしまうのかを冷静に見つめてみたら、
私は人から嘘をつかれることがとても嫌だということに気付きました。
嘘つきが嫌いだから、相手がちょっと間違うと、
その人が嘘つきなのかそうじゃないのかを探ろうとしてしまうのだと思います。
ええぇ・・・
心狭い・・・・・・
相手からしたらたまりませんよね。
ちょっとうっかりしただけなのに
「この嘘つき!!!」
って断罪されるわけですから。
そりゃ人言関係ギクシャクしますよ。
(そう考えてみると、それでも私の周りに居続けてくれている人たちの懐の深さ何なの・・・ダムなの・・・?)
自分の中の「こうあるべき」に気づいたら
「どうしてそう思った?」と自問してみる
私の場合は「やると言ったことはちゃんとやるべき」
が強すぎたので、それに対して「どうしてそう思った?」と自問してみて、
それを何度か繰り返すうちに
「私は人に嘘をつかれるのが怖い」
という理由が見つかりました。
でも、そんなの私だけの超個人的なトラウマに起因するものなので
「ちゃんとやってよ!」と言われた相手からしたら知りようがないことですよね。
気付いた瞬間死ぬほど恥ずかしかったし、
相手に申し訳ないことをしてしまったと反省したので、
これからは「どうしてやってくれないの!?」という風に
脈絡なく突然ガチギレするイタイことは少なくなるように気を付けます・・・。
でも、自問していった結果が、たとえば法律や公序良俗に由来するものであったならば、
特に主張を曲げる必要はないかと思います。
その場合でも、
「こうでなければならない」ではなく、その理由を説明する
というのが人間関係においては重要かもしれません。
「こうあるべき」は自分自身も激しく責めてしまう
ここまでは対人関係の話だったのですが、
「こうあるべき」は自分自身にも悪い作用が働きます。
他人にするのと同じように、自分自身も強く責めてしまうのです。
「XX歳までには●●な状態になっているべきなのに、私はなんてダメなんだ!」
「○○さんみたいに成功するべきなのに、私はできていない!」
みたいなことですね。
ある〜!心当たりありまくる〜!!
そういう劣等感が煩わしくて人付き合い避けてる傾向すらある〜!!!
この、自分自身を縛りつける「こうあるべき」の理由は、
突き詰めて考えてみると、自分以外の第三者の目を気にした結果生まれているように思います。
世間、親、成功者と呼ばれる人たち、恋人、友人、仲間、などなど。
こういう第三者が望む(もしくは望むと思われる)姿や、
この人たちにこう思われたいと願う姿が、
そのまま「こうあるべき」という理想となって、
そうではない現実の自分を叱責するのではないでしょうか。
人間誰でも、多かれ少なかれ誰かに理想を抱いていると思います。
でも、「♪人から見えてるほど 強いやつはいない♪」と怒髪天も歌っているように、
理想通りの完璧超人は三次元には存在しません。
つまり、その架空の「こうなるべき」は、
一生かけても達成できない理想なのです。
誰かに敷かれたレールを外れて、
自分自身の足で歩くと決めた私たちは、
誰かのコピーではなく、自分自身で決めた理想の姿を目指さなくてはなりません。
他人が求める「こうあるべき」ではなく、
自分自身が求める「こうだったら良いな!」に向けて
伸び伸びと羽ばたけたら素敵ですよね。
「こうだったら良いな!」について詳しく解説している動画はこちら
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小池 さやか
株式会社SAVIE代表取締役
1982年生まれ
デザイン会社勤務を経て、結婚を機に独立。 その翌年、元旦那に貯金全額を使い込まれて30歳で一文無しのバツイチになる。 死に物狂いで働いて一年間で資本金と引っ越し費用を貯めて株式会社SAVIEを設立。
社名の由来は3匹飼っているサビ猫から。
趣味はバイクツーリング。